2012年04月16日
東部水道企業団とは
少し「固い話」がつづきます。

(写真:佐賀市兵庫町にある企業団本庁)
昭和の40年代までは
そのほとんどを地下水に頼ってきました。
特に佐賀県の東部地区は
豊富な地下水を飲料水として利用してきました。
しかし、高度成長に伴う水需要の増加に対し
「新たな水源」の確保が必要になりました。
この「水需要の増加」は
東部地区だけの問題ではありませんでした。
そこで筑後川水系全体で
新しい「水の配分」が決まりました。
佐賀県側の対象地区の嘉瀬川を境とした
2市10町2村(当時)で話し合いが始まりました。
そこで三つのことが決まりました
ひとつは「広域水道」として「水道企業団」を結成する。
二つ目は将来「水道事業」まで経営するが
当面は「水道用水供給事業」としてスタートする。
三つ目は鳥栖市については既得水利権があり
将来参加を検討する。
そこで鳥栖市を除く1市10町2村(当時)で昭和50年4月に
「佐賀東部水道企業団」が設立されました。
続きます。
(写真:佐賀市兵庫町にある企業団本庁)
昭和の40年代までは
そのほとんどを地下水に頼ってきました。
特に佐賀県の東部地区は
豊富な地下水を飲料水として利用してきました。
しかし、高度成長に伴う水需要の増加に対し
「新たな水源」の確保が必要になりました。
この「水需要の増加」は
東部地区だけの問題ではありませんでした。
そこで筑後川水系全体で
新しい「水の配分」が決まりました。
佐賀県側の対象地区の嘉瀬川を境とした
2市10町2村(当時)で話し合いが始まりました。
そこで三つのことが決まりました
ひとつは「広域水道」として「水道企業団」を結成する。
二つ目は将来「水道事業」まで経営するが
当面は「水道用水供給事業」としてスタートする。
三つ目は鳥栖市については既得水利権があり
将来参加を検討する。
そこで鳥栖市を除く1市10町2村(当時)で昭和50年4月に
「佐賀東部水道企業団」が設立されました。
続きます。