2013年02月05日
はまぐり水道を歩く
「はまぐり水道」ってご存知ですか?
江戸時代初期に
鍋島藩家老の成富兵庫茂安公が築いた用水路です。
場所は吉野ヶ里町の蛤岳(はまぐりだけ:標高863m)
そこは福岡との県境
それまでは福岡側に流れていた大野川の水を
ため池を造り、貯め、約1500mの水路を作り
佐賀県側に流れる田手川へ導水したものです。
途中に数ヶ所の「野越し」と呼ぶ越流提をつくって
余った水は福岡県側に流れる仕組みになっています。

(写真:蛤水道の案内板、これを見るには登山になりますが・・・)
九州自然自然歩道の永山峠が
水道の落ち口になっています。
本来は、坂本峠入り口から徒歩で
2時間程度かかりますが
今回は、現場視察のついでの見学
冬枯れの狭い山道を走ること30分
やっと、たどり着きました。

(写真:山登りを趣味にしている職員が以前に撮影したもの)
水道の途中には成富兵庫茂安公の
水功碑が祀られていました。
当時は石造りだったそうだが
現在はコンクリート製。
成富兵庫茂安公は「水の神様」
佐賀市の多布施川やみやき町の「千栗土居」
伊万里の「桃の川水路」等
多くの治水事業を行った偉人です。
反面、それまでは水を享受していた福岡側には
乳飲み子を抱いた悲しい話が残っています
機会があったら、次はそんな話を。
毎年、5月には「兵庫祭り」が行なわれ
偉業を称えている、とは聞いていた。
先日、吉野ヶ里町の江頭町長にお会いした際に
「兵庫祭り」に参加させていただきたいとお願いした。
その季節は新緑
今とはまったく違う風景を見るだろう
その時は、再度の報告をします。
現場のついでに見たものでカメラがなく
次回、詳しく紹介します。
江戸時代初期に
鍋島藩家老の成富兵庫茂安公が築いた用水路です。
場所は吉野ヶ里町の蛤岳(はまぐりだけ:標高863m)
そこは福岡との県境
それまでは福岡側に流れていた大野川の水を
ため池を造り、貯め、約1500mの水路を作り
佐賀県側に流れる田手川へ導水したものです。
途中に数ヶ所の「野越し」と呼ぶ越流提をつくって
余った水は福岡県側に流れる仕組みになっています。

(写真:蛤水道の案内板、これを見るには登山になりますが・・・)
九州自然自然歩道の永山峠が
水道の落ち口になっています。
本来は、坂本峠入り口から徒歩で
2時間程度かかりますが
今回は、現場視察のついでの見学
冬枯れの狭い山道を走ること30分
やっと、たどり着きました。

(写真:山登りを趣味にしている職員が以前に撮影したもの)
水道の途中には成富兵庫茂安公の
水功碑が祀られていました。
当時は石造りだったそうだが
現在はコンクリート製。
成富兵庫茂安公は「水の神様」
佐賀市の多布施川やみやき町の「千栗土居」
伊万里の「桃の川水路」等
多くの治水事業を行った偉人です。
反面、それまでは水を享受していた福岡側には
乳飲み子を抱いた悲しい話が残っています
機会があったら、次はそんな話を。
毎年、5月には「兵庫祭り」が行なわれ
偉業を称えている、とは聞いていた。
先日、吉野ヶ里町の江頭町長にお会いした際に
「兵庫祭り」に参加させていただきたいとお願いした。
その季節は新緑
今とはまったく違う風景を見るだろう
その時は、再度の報告をします。
現場のついでに見たものでカメラがなく
次回、詳しく紹介します。
ほんげんぎょう(佐賀市北川副校区)
筑後川昇開橋の補修工事完了(通行再開)
神埼のお菓子「ひしぼうろ」
佐賀市久保泉町の「ほんげんぎょう」(当日編)
佐賀市久保泉町の「ほんげんぎょう」(準備編)
三根の「宇佐の宮浮立」
筑後川昇開橋の補修工事完了(通行再開)
神埼のお菓子「ひしぼうろ」
佐賀市久保泉町の「ほんげんぎょう」(当日編)
佐賀市久保泉町の「ほんげんぎょう」(準備編)
三根の「宇佐の宮浮立」
Posted by 佐賀東部水道企業団
at 10:00
│構成団体の情報