2013年10月03日

石巻市と周辺の現状

石巻の朝一番、隣町の女川港へ
「街がない」
声が出ません。

石巻市と周辺の現状
(写真:「女川港」の現状)

見えるものは 当時のすさまじさを想像させる物のみ
コンクリートの建物が横倒し、その方向がバラバラ
押し波と引き波の仕業だそうです。

その日の天気は快晴
天高くどこまでも青い空と海
海はナギで、カモメは羽を休めている、一見のどかな風景

石巻市と周辺の現状
(写真:津波の引き波により転倒した鉄筋コンクリート4階建ての建物
    建物内部に乗用車が残されていました)

しかし、この落差が現実
頭を下げ、祈るほかに所作がない
伝える言葉も、これ以上浮かびません。

その後は石巻に戻り、震災を伝えるボランティアさんの案内
その方は、観光協会の専務理事の浅野さん

地震当日は、職場(石巻駅前)
3・11 14時46分 地震
「揺れた 四つん這い状態 長い長い揺れ(実際は3分)
これは津波が来る」と直感
3日間は、職場の2階から出られない状態で過ごす

4日後に親戚を探すために避難所まわり
歩く所はガレキの山
片づけるには「1年かかる」と思った

しかし、ボランティアの力を頂き、3か月で片付き
その頃コンビニ1軒が店開き
ボランティアセンター把握が30万人
実際は「その倍以上の方が全国から駆けつけてくださった」

石巻市と周辺の現状
(写真:震災を伝えるボランティアさんの案内)

石巻の被害の規模は大きい
東北3県のガレキ量の半分は石巻と聞いた。

15万人の市民の8割が被災され、車の流失6万台
亡くなった方4千人。

石巻市と周辺の現状
(写真:見渡す限りの住宅地が無くなり、更地となっていました)

ただし「地震 そく津波 そく逃げろ」の訓練は徹底していた
だから被害の割には「助かった人が多い」とも。

助からなかった人の原因は大まかに二つ
ひとつは、車の大渋滞で被災
ふたつめは、家に戻って被災。

犠牲になったニュースはよく流れる
しかし、助かったニュースがない
「助かるには理由がある」と強調された。

ある保育園では、月に1回の訓練を数十年続け、全員助かった
あとで聞けば「見事な行動だった」とのお話も。

最後に「津波はテンデン」
まずは、自分が逃げろ。

次には逃げる場所を決めておけ
その場所を家族で共有、探すのが簡単
このことは、東北地方では日頃から共有されているとのことでした。

1~2年後に再度行きたい
復興の姿を見に行きたい。


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Posted by 佐賀東部水道企業団  at 10:00 │企業団ニュース