2012年04月17日
東部水道企業団の出発
前回は鳥栖市を除く1市10町2村(当時)で
「佐賀東部水道企業団が設立された」ところまででした。
当時の「町や村」は
水源の確保や水道事業の拡張には頭を痛めていました。
その理由は、財政規模が小さい町村が
単独で事業を行なうには「荷が重すぎた」からです。
そこで当時の関係者の努力で
「広域での水道」が実現し
結果的に「住民の負担」が少なくなったと思います。
「広域水道」に向かって昭和51年から
建設事業が始まりました。
筑後川の筑後大堰に隣接した筑後川右岸に
「北茂安浄水場」の建設を昭和55年に着手しました。

(写真:筑後川沿いに建設された北茂安浄水場)
これらの完成で水道水を
各町・村に供給することは出来るようになりました。
水道用水供給の準備は着々と進みましたが
しかし、その水を使う町や村の受入体制の整備が進みません。
各家庭に水道を送るには
水道管等の施設が必要です。
当時、東部地区の神埼・三養基郡内の町村では
多くが小規模な簡易水道や公営住宅の専用水道程度で
特に国道34号線より北の地区は井戸水の利用がほとんどでした。
そのため、新たに水道管を敷設するための
技術者の確保や財源等の問題が生じました。
続きます。
「佐賀東部水道企業団が設立された」ところまででした。
当時の「町や村」は
水源の確保や水道事業の拡張には頭を痛めていました。
その理由は、財政規模が小さい町村が
単独で事業を行なうには「荷が重すぎた」からです。
そこで当時の関係者の努力で
「広域での水道」が実現し
結果的に「住民の負担」が少なくなったと思います。
「広域水道」に向かって昭和51年から
建設事業が始まりました。
筑後川の筑後大堰に隣接した筑後川右岸に
「北茂安浄水場」の建設を昭和55年に着手しました。
(写真:筑後川沿いに建設された北茂安浄水場)
これらの完成で水道水を
各町・村に供給することは出来るようになりました。
水道用水供給の準備は着々と進みましたが
しかし、その水を使う町や村の受入体制の整備が進みません。
各家庭に水道を送るには
水道管等の施設が必要です。
当時、東部地区の神埼・三養基郡内の町村では
多くが小規模な簡易水道や公営住宅の専用水道程度で
特に国道34号線より北の地区は井戸水の利用がほとんどでした。
そのため、新たに水道管を敷設するための
技術者の確保や財源等の問題が生じました。
続きます。
Posted by 佐賀東部水道企業団
at 10:00
│企業団ニュース