2012年11月01日

三井郡の恵利堰

実はこの恵利堰は調べても迷うことが多い堰でした。
四堰のうち最も下流にあるのが恵利堰。

筑後川中流域の右岸側、特に旧三井郡(小郡、太刀洗等)
一帯の土地は水面より高く、
荒地荒畑のまま放置されており、
わずかな田畑もたびたび干害に襲われていました。

この貧苦の農民を救済するため、
久留米藩の草野又六らの指導により筑後川をせき止めして、
1712年に難工事の末に完成させたのが、恵利堰です。

三井郡の恵利堰
(写真:明暦7年(1758年)の古地図 上が南で左が上流)

しかし、当初の計画より取水量が少なかったため、
更に堰を追加して作っています。

この床島地区に作られた、恵利堰、床島堰、佐田堰の
三堰を総称して床島堰と呼ばれていますと、
資料にはありました。

太刀洗町役場のパンフでも恵利堰のことを床島堰と、
水利組合の名称も「三井郡床島堰土地改良区」。

床島堰なのか恵利堰なのか、そこが一番の疑問点。
床島堰や佐田堰は今はどうなっているのかが二番目。

役場や土地改良区にもお尋ねしましたが、
まだ、十分理解できていないかもしれません。

単体では恵利堰だが、施設総体では床島堰だとか・・・
別に床島堰もあり、少し混乱してきました。

三井郡の恵利堰
(写真:今はコンクリートとなっている恵利堰)

恵利堰も他の筑後川の堰同様、難工事であり、
数十隻の船に数十万という耳納山麓の石を積んで
川の中で船を転覆させ基礎を作り、
更に俵に詰めた50万俵の小石で堰止めが出来たそうです。

三井郡の恵利堰
(写真:堰の対岸が筑後の恵利区 だから恵利堰だとか)

また、恵利堰の作られた場所は、
筑前(福岡藩)と筑後(久留米藩)の境界あたりにあり、
堰によって恩恵を受ける筑後と恩恵を受けないばかりか、
堰のおかげで田畑が湿潤になり耕作ができなくなる
筑前の長田地区あたりの農民とのトラブルも絶えなかったとか。

恵利堰も作られた当時は石畳張りでしたが、
昭和28年以降の大水害により被災し、
現在ではコンクリートの堰として作り替えられています。

また、水利施設が再整備され、佐田堰は廃止されていると。
しかし、土地改良区の方のお話だと
床島堰は、まだありますよとのこと。

しかし、いくら探しても分かりません。
単体の床島堰は、筑後川本川ではなく支流か中州あたり?
付近が森になっていて近づきにくいのもあり
この日は実際に確認出来ませんでした。

そこで土地改良区で頂いた資料の地図で確認。

三井郡の恵利堰
(写真:床島用水路平面図 作成時期は不明 上が北で右が上流)

これでなんとなく位置関係が分かりましたので
次に機会があれば・・・

三井郡の恵利堰
(写真:恵利堰は魚道もきちんと整備されています)


三井郡の恵利堰
(写真:床島用水はこの先でサイフォンにより小石原川を横断)


三井郡の恵利堰
(写真:小石原川の堤防付近にある大堰神社)


次回はシリーズの最終回です。
これら中流の堰の歴史を踏まえた上で
両筑平野用水事業についてご紹介いたします。






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